時の鍵
――子供の頃。
誰かが怖い夢を見ると、皆で手を繋いで眠った。
「……恋次?」
自室療養になった恋次を訪ねると、彼は真っ昼間だというのに眠りの国にいた。
布団も敷かず、何も掛けず、畳の上に大の字で転がっている。
「恋次」
もう一度呼び掛けるが、返事はない。
「……折角見舞いを持って来たのに」
腕の中にある、人気店で買った彼の大好物の鯛焼きの入った包みを一瞥して、ルキアはぼやいた。
「たまに大人しく部屋に居ると思えば……」
呆れ、大きな溜息を漏らす。
恋次ときたら、いつも誰かしら先客はいるわ――主に元同僚の十一番隊の隊員達で、そのあまりの賑やかさに、経過良好を理由に四番隊・綜合救護詰所を追い出され、自室療養となったのだ――、抜け出してあちこちかけずり回っているわで、殆どすれ違ってばかりなのだ。
療養中だから休んでいて良いのだろうが、この間の悪さには、正直苦笑を禁じ得ない。
「恋次。お前の好きな鯛焼きだぞ。恋次」
再度声を掛けてみても、起きる気配はない。熟睡しているようだ。
「……全く……」
少しだけ待ってみよう。
そう思い、ルキアは彼の隣に腰を下ろした。
あれから数日。尸魂界は落ち着きを取り戻すにはまだ程遠い。
「……よく回復したものだな……」
すやすやと眠っている恋次を見下ろしながら、ルキアは独りごちた。
全身傷だらけ、血塗れだった彼の姿を思い出すと、今でも背筋が寒くなる。
(こんな私などの為に――……)
自責の念に駆り立てられそうになり、慌ててルキアは頭を振って考えるのをやめた。
いけない。気を抜くと、すぐこれだ。
ここのところ、ふとした弾みでたやすくマイナス方面に気持ちが傾いてしまう。
それで何度かやんわりと注意されたり、叱られてもいるというのに――
「……謝るところではない、のだったな」
恋次の寝顔に向かって、ルキアは苦笑いを浮かべた。
そう言えば、こんなにゆっくり顔を見るのは久しぶりな気がする。
彼もそうだが、事情聴取やら各方面への見舞いやら詫びやらと、自分も慌しい日々を送っていた。
「……それにしても、なかなか起きぬな」
余程疲れているのだろうか。
「……仕方ない。出直すか」
一緒に鯛焼きを食べるのを楽しみにしていたのに、残念だ。悔しいが、置いて行ってやろう。
そんなことを考えながら、諦めて立ち上がろうとしたその時――
ぐいっと手を摑まれて、ルキアは危うくつんのめりそうになった。
「な――」
見ると、彼女を捕まえた恋次が、何処か批難がましい目を――半分程しか開いていないが――こちらに向けている。
「恋次? 起きたのか?」
「……んだよ、ルキア……一人イチ抜けなんてずりぃぞ……」
「は?」
「……約束したろ……五人で……」
(……ああ)
ルキアはすぐに合点がいった。彼が何をどう寝惚けているのかを。
――子供の頃。
誰かが怖い夢を見ると、皆で手を繋いで眠った。
当然朝起きた時にはてんでバラバラになっているのだが、不思議とひどく安心したものだった。
悪い夢を見たのが、自分ではなくても。
「……分かっておる。ちょっと動いただけだ」
「……オメーいないと、アイツら泣くからな……」
「私はちゃんと此処に居る」
摑まれた手を、そっと握り返す。
すると、恋次は安堵したようにまた目を閉じた。
そして、気持ち良さそうに、再び寝息を立て始める。
(……忘れておらぬものだな……)
もう、四十年以上も昔のことなのに。
お互い成長していないのか、それとも――……
(……大きな手だな……)
まじまじと、彼女の倍はあろうかという、握られた手を見つめる。
かつて、一番大事な時に離されてしまった、その手――……
――子供の頃。
誰かが怖い夢を見ると、皆で手を繋いで眠った。
朝には離れていても、それは大した問題ではなかった。
何度でもまた繋げばいい。単純にそう思っていた。
それが出来ると信じていた。
「朽木家っていったら大貴族じゃねえか! 羨ましすぎてムカつくなァ、オイ!」
――本当は。
あの時、自分の肩を叩く恋次の手に、不自然な力が入っていたことに気付いていた。
それを退けたのは、自分。
恋次だけではない。
自分も、手を離したのだ。
――誰が放すかよ――
それを、もう一度繋いでくれたのは、恋次。
諦めに負けていた自分と違って。
「……ありがとう……」
解けた糸は、また結べばいい。
止まってしまった時計の鍵は、その手で回せばいい。
今の自分達には、それが出来る筈だ。
「……ありがとう……」
囁いて、ルキアは恋次の左手を両手で包み込んだ。
この小さ過ぎる手の中にも、きっと鍵はある。
目を覚ました恋次は、それこそ呼吸が止まるかと思う程仰天した。叫びそうになるのを、何とか堪える。
(ななななな何で!?)
ルキアが自分の隣で眠っている。しかも手を握りあっている。それもしっかりと。
(ままままままさか何かしたか俺!?)
すぐ間近、吐く息がかかりそうな程の距離に、彼女の綺麗な顔がある。しかし、ゆっくりと見惚れている余裕などあるわけがない。
(いやいやいやいやそれはねぇ。それはねぇよ。二人とも服着てるし。ナイナイ。つーか断言出来るのも悲しいけど……)
とにかく落ち着け――己に言い聞かせ、大きく深呼吸をし……
「ん?」
鼻孔をくすぐる、甘い匂いに気付く。
そちらに視線を向けると、枕元に恋次のお気に入りの和菓子屋の包みが置いてあった。
(これは……鯛焼き! しかも一番高い、最上級の餡子がたっぷり入ってるヤツ! 皮もサクサク!)
ルキアからの差し入れだろうか。
意識が逸れたことで――この状況で鯛焼きに気が向くのもかなり考えものだが――段々と平常心が戻ってくる。
(……あー……そーいや何か夢見てたかも……)
何故手を繋いでいるのかは分からないが、見舞いに来てくれたルキアが、眠っている自分を待っている間につい寝てしまった、というところだろうか。
しかしこれは、人に見られでもしたら非常にまずい。鯛焼きも冷める。いつ誰が来るか知れたものではないから、とりあえず自分が先に起きようか。だが、それにはまず手を――
(――……。……手……)
あの時、離してしまった左手。長年強く深い後悔とともにあったその手を、ルキアが握ってくれている。
「……誰が放すかよ」
掠れるような小声で呟いて。
その感触を噛み締めるように、ぎゅっと、更に握り返す。自然と穏やかな笑みが零れた。
繋いだ、手と手。
折角の鯛焼きは冷えるけれど、まあいい。ルキアが起きたら一緒に食べよう。
それまでは、もう少しこのまま――……
錆び付いた時計を動かす鍵を、二人は確かに持っている筈だから。
<あとがき>
06年3月から約1年、天空の聖堂のWeb拍手に置かれていたもの。
より多くの方にご覧になって頂けるように、コッチに移動させてみました。
2日早いけど、ホワイトデーUP☆ってことでおひとつよろしく♪
「拍手のお礼用なんだから!」と、超頑張って書いた、甘めの恋ルキSSです……が。
これが私の精一杯……すみませ……!
恋ルキストのくせに、自分じゃ甘い恋ルキ書けないってホントどうなのか(爆)。
魔王造反から数日後のお話。
細かい時系列、あれから起こったであろう出来事、二人の気持ち、現在の関係などの辻褄合わせは、わざと投げてます。
(ちょっとだけ捏造したけど)
お好きな解釈でお読み下さいませ☆ ラブラブ両想いどんと恋――!!(笑)
……つーか恋次さん、ルキたんを食べちゃおうよ……
ちなみに半平太の感想は、「『皮もサクサク!』が何かツボ」でした。
そこかよ! 千代子(「甘い毒、あたたかな雪」参照)の次はサクサクかよ!
他にないのかよこんちくしょう――!!(泣きながら走り去り)
っていうか、あの空白の1週間は、あまりにスッ飛ばされ過ぎて、ルキアスキーとしても海燕ファンとしても、普通に岩鷲の心の行方を見守ってた身としても、ホントにやり切れなくてですね……
想像と妄想が勢い余って、大捏造話が自分の中で組み立てられています(ヲタだからネ!)。
ルキたんの気持ちの流れとか。
その時恋次達は、とか。
岩鷲はいかに真実を知り、どう受け止めたのか、とか。(←MAX大事!)
それぞれがどういう行動を取り、どういう経緯を辿って、あの181話に繋がるのか……
きっちりタイトルまで付いてる始末ですよ、ええ。
でも発表は出来ないだろうなぁ……
最後まで読んでくれてありがとうございます! そんな素敵なあなたにささやかなお礼☆
(update:2007/03/12)